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アリアンサ移住の歴史


今日はちょっとまじめなお話


1908年6月18日ブラジルに移民船1号の笠戸丸がつきました。


そう6月18日は僕の誕生日なんです!(プレゼント待ってます)



おっと こんなことが言いたかったのではありません。




そもそもなぜブラジルに移民が始まったかをざっくり説明したいと思います。

今日のメインは、アリアンサ移住なので、、、



まず最初に始まったのは、今から約150年前にアメリカ移民が始まりました。

主にハワイにサトウキビやパイナップル畑で働くために、労働者として移民しました。


そこで、日本人は安い賃金なのでとても勤勉に働きました。そしてお金を稼いでいきますが、日本人だけでお金を回すこともあり、現地の人からはあまりよく思われていませんでした。(ざっと書いています。詳しくはJICA横浜の海外移住資料館に詳しく書いてあるので是非そちらをみて下さい)




そういう日本人は、徐々に疎外されていくようになってきます。


そんな中、当時のブラジルはいろんな国から移住を受け入れていました。主にコーヒー農園の労働者としてです。


アメリカには行くことができなくなると、日本は次の働き先を見つけるようになりました。



今では、考えられませんでしたが、当時の日本はとても貧しく農業主体で働いていても食べることに苦労していました。



そんな中、海外に行って働けば、お金もちになって帰ってこれるという話があったそうです。


国内に限界を感じた人は、家族で海を渡ったり、家族離れ離れになって海を割ったりしました。


家族を少しでも養うために、、、


1908年から始まったブラジル移民ですが、多くの人が希望をもってブラジルに渡りました。

しかし実際は、どうだったかというと



マンジョッカという芋ばかり食べたり


毎日の重労働


低賃金 




2年で日本に帰れるということでしたが、船の切符代すら稼ぐことができず低賃金で奴隷として働いていました。


何人かは成功する人が出てきましたが、多くの人は奴隷のまま働き続け、中には逃げ出す人も出てきたそうです。


そういう中で、このままの移民ではダメだと考えた人がいます。



それが、アリアンサ創設に関わった永田稠さん、輪湖俊午郎さん、北原地価造さんのお三方です。



移民は斡旋するけど、国はブラジルに渡った後に対する支援はなく


あとは、自己責任になっていたようです。



そういうことを打開するためには、自分たちでブラジルに土地を買って、そこにコミュニティーを作っていけば、奴隷として働く必要がなく稼ぎが自分たちの収入に直結すると考えました。



そうして長野県出身である永田さんを中心にして、信濃海外協会を設立しブラジルに土地を買うことに成功しました。



土地を買って、そこに人を送るということから移民ではなく、移住という言葉が使われるようになりました。



そして長野県を含めた全国の地から、多くの人をこのアリアンサに送り込んだそうです。




土地を買ったといっても原始林を買ったので、全く手付かずの場所です。




最初にアリアンサに来た人は、あまり貧しくない人たちが多かったそうですが



それでも何もないところから木を切り開き、家を作りコミュニティーを作って行くことは本当に大変なことだと思います。



自給自足の生活です。




最初は少なかった入植者(日本からアリアンサに来た人)も徐々に増えていきました。



アリアンサの移住は成功していました



アリアンサの成功を元に国による土地を買って人を送り込む国策移住につながったと言われています。



そんなこんなで、アリアンサのお話をしてきましたが、



なぜこの移住の土地にアリアンサという名前がついたかをお話したいと思います。



僕は、このアリアンサという名前や意味がとても好きです。



このアリアンサという意味はポルトガル語では、「共生・共同・協働」という意味です。



共生の大地アリアンサという本によると



「輪湖さんは日本の植民地なんかじゃない、自分の意思で移住した人間の村なんだから、ブラジル人と一緒に生きる移住者の村と言うことで、アリアンサ移住地とされたそうです。」



アメリカ移住では、自分たち日本人だけでコミュニティーをつくり失敗した経緯があります。



そういう思いがあって、ブラジルに日本人だけのコミュニティーを作るのではなくブラジル人と一緒に生きるという願いが込められているのです。



遠いブラジルに日本の植民地を作ろうとしたのではなく、ブラジル人と共に過ごしていくというところが素敵なだなと思います。




そんなわけでアリアンサでは、今年で入植94年目を迎えますが、長野県が買った土地に多くの日本人が住み、ポルトガル語の方の比重が高くなってきていますが、未だに日本語を話し日本や長野県との繋がりを大切にし、過ごしている人がいます。



これは、本当にすごいことだと思います。




ブラジルの田舎に、日本と似た空気を持ちながらブラジル社会に溶け込みながら生活をしている人がいることを是非知ってもらいたいなと思います。




特に長野県では、満蒙開拓について少し学ぶ機会がありますが、長野県が土地を買って送り出したブラジル移住については触れられることがありません。皆さんの親戚の方もしかしたらきている人がいるかもしれません。




興味も持ってくれた方は、是非この本を読んでもらいたいです。

アリアンサ移住の歴史_e0056859_22353853.jpg

またこの本を書いた木村快さんが書かれたアリアンサ通信がネットで見れるので、そちらも見ていただけると嬉しいです。


by 1alianca | 2018-08-25 22:41


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